夫婦奴隷の淫靡な性生活
第一部 夫婦奴隷に落とされるまで...
パート6
僕たちの辿った道:各自の視点から
僕と妻の裕子、僕と親友の澤村、妻と友人の一ノ瀬、という3組の性的でフェティッシュな関係については、これまでにお話ししたとおりです。何ごともなければ、それぞれの性生活は互いに干渉せず、各自の人生の時間進行の中でパラレルに進行して行くはずでした。でも、世の中には信じられないような偶然があるものです。僕と妻はそんな偶然に振り回された挙句の果てに、澤村と一ノ瀬の二人の男性に性的に共有されることになったのです。夫婦揃って彼らの共有奴隷に落とされたのです。それだけではありません。彼らは妻を僕から身体的・精神的かつ法的にも奪ったうえ、さらに僕と裕子をひとつがいの男女として、これまでどおり一つ屋根の下に住まわせたのです。性的接触どころか身体的接触そのものを禁じられながら...しかも僕も裕子も、その性は彼らによって細部に至るまで管理され、文字通りの夫婦奴隷に落とされたのでした。性だけではなく、家事労働も強要されている僕たち夫婦にとっては、”調教”で与えられる性的な興奮と快感だけが生きている目的になっているという惨めさです。夫婦奴隷としての日々の”調教”についてお話しする前に、ここに到るまでの僕、妻、一ノ瀬、澤村に関する出来事を、あらためてまとめておきましょう。僕たちは大学で同じゼミに所属していました。

結婚前の僕と裕子。まだ学生だった頃、小樽でデートした時の写真です。卒業を翌年に
控えた秋。ちょうどこの頃から、一ノ瀬が雄の視線で裕子に狙いをつけ始めたのでした。 |
僕のこと
大学卒業後2年ほどで裕子と結婚。僕は中学生の頃から女装癖がありましたが、これは結婚後は妻に僕の好みのスカートやランジェリーを着せてセックスすることで抑えられていました。妻の身体とスカート姿に溺れていた僕には、女装オナニーで射精する余裕がなかったのです。

結婚して数年の間、僕は自分の女装は忘れて妻とのセックスに明け暮れました。
早漏気味の僕との激しいけれども短時間かつ単調な性生活!...そんな時期に妻は
夫の知らない時に知らない所で一ノ瀬によって女の性を開発されて行ったのです。 |
ー僕のスカート女装ー
結婚して数年も経つと、僕の女装癖が復活し、妻の留守中に妻のスカートやランジェリーで女装して被虐妄想を楽しんでいました。結婚から10年ほど経った頃、セックスでの中折れから僕自身もランジェリーを着けて、そしてスカートを着けて妻とセックスするようになりました。あまりに倒錯的なので、妻は最初嫌がりましたが、女装することで僕の興奮が高まるということを知ってからは容認するようになりました。夫婦揃ってSM嗜好があり、妻は少しサドの気がある程度ですが、僕は本格的な女装マゾです。それまでも妻に縛られたり笞で打たれたり辱められたりして興奮した僕は、いつもにも増して激しく妻の身体にぶつかって行くのでした。さらに僕は妻の浮気を妄想して、その嫉妬を性欲に変換することで、より淫らな性交で妻を悦ばせていたのです。僕たち夫婦には、性生活上の倦怠期というものは存在しなかったのです。夫がスカートを穿くようになって、寝室ではスカート姿の夫がスカート姿の妻を嗜虐的に犯すという、今まで以上に倒錯した性生活が繰り広げられるようになりました。そして、やがてセックスしない夜も夫はスカート姿で妻と過ごすようになりました。妻が家を空ける時は、一人スカート姿で町中や郊外の公園、海辺を散歩して、スカートの中の解放感・無防備感を楽しんでいました。

いつからか性交時は妻も夫もスカート姿という変態的な性生活が始まりました。最初はどちらも興奮してセックスもうまく行きましたが、
やがて中折れするように...それでも妻はそこそこの満足を得られたのですが、夫は不満でした。そんな夫を気遣ってか、妻が引導を渡して
くれることになりました。セックスの失敗に対す懲罰という形で、夫は性器に無線リモコン制御の淫具をスカートの下で、性器に嵌められ
ました。妻の前で壁際に立たされ、妻の手でリモコンがオン・オフされるという恥ずかしい懲罰...妻は夫を焦らして苛めます。セックスの
失敗に対する妻の復讐です。女らしい意地悪もありました...さんざん焦らされた挙句、今日はここまで、という残酷な仕置もありました... |
ー1年前:澤村に見られてー
そんな生活が10年ほど続いた時、まったくの偶然で、町中を歩いていた時に旧友の澤村にスカート姿を見られて撮影されてしまったのです。1年ほど前のことでした。見られてから数日の後、澤村に弱みを握られてしまった僕は、その時と同じスカート姿でホテルに呼び出されました。正確には、男モードで指定されたホテルの部屋へ行って、目撃された時と同じ服装に着替えて彼を待ちました。しばらくしてやってきた澤村に僕はこと細かに訊問されたうえ、服装検査・下着検査・身体検査をされたのでした。その後、僕は彼から性奴隷としての調教を受けることになり、今に続いています。妻は、信じられないような偶然が起こったあの時まで、僕が澤村に調教されていることを知りませんでした。
ー半年前:妻の浮気を目撃ー
妻が、僕たち共通の友人である一ノ瀬と一緒に歩いているのを見かけたのは、澤村による僕の調教が始まってから数か月、今からほぼ半年前のことでした。その翌々日の夜、帰宅した妻を僕はきびしく問い質しました。そして妻の告白で知りました。妻が卒業以来、一ノ瀬と連絡を取り合っていたこと、結婚後も彼とつきあっていた...それも性的につきあっていたこと、そして今では性的に一ノ瀬に屈従させられていること......今まで20年にわたって!...僕は妻の告白を聞いたとき、すぐには信じられませんでした。その間、僕が何も気づかなかったこと...妻は細心の注意を払って一ノ瀬との関係を隠していたのです。でも、それは妻の心の中では、僕に対する思いの表われでした。同じ思いは一ノ瀬にも向けられてきました。妻は僕と一ノ瀬のどちらをも”愛して”いたのです。僕は妻の心を理解し、妻を許しました。妻と一ノ瀬の過去も現在も未来も許したのです。妻を旧友に奪われることでマゾの僕は倒錯した被虐の歓びに浸りながらも、婚姻関係がある限り、妻は僕の所有であるとの自負があったからです。妻は僕との婚姻生活を望んでいました。
ーふた月前:妻の”合宿”ー
突然一ノ瀬から妻に電話があり、一週間ほど釧路の家に来るようにとのことでした。出発当日、一ノ瀬が車で我が家に迎えに来て、その際、家の中も見たいというので、妻が案内しました。寝室まで見られ、僕たち夫婦のプライバシーは一ノ瀬に支配されることになりました。
妻のこと
裕子は、大学卒業前の秋頃から一ノ瀬とつきあっていました。その前、ほんの少しの間でしたが、澤村ともつき合っていたようです。裕子が何気なく洩らしたことがありました。澤村とは肉体の関係はなかったけど、一ノ瀬とは少しあったこと。忘年会だったか何かの二次会で行った飲み屋のカウンターに並んで座った一ノ瀬と裕子が長い間キスしているのを僕は離れた場所から見ていました。舌を吸われていた...裕子は口の中に一ノ瀬の舌を入れられ、舌を絡め捕られていました。目を瞑って恍惚の表情を見せていたから、外から見ても何が進行しているか、よく分かったのです。二人の肉体関係はそこまでで、妻は僕との結婚まで純潔を守っていました。

結婚して1年くらい経った頃の妻。僕は裕子のつま先が好きでした。
先端が厚編みになったモカ・ブラウンのパンストに包まれたつま先。
一方、一ノ瀬は裕子の唇を偏愛していました。男に犯される裕子の唇...
|
ー妻と一ノ瀬ー
卒業後、僕も裕子も一ノ瀬も澤村も別々の道に進みました。でも、裕子と一ノ瀬は連絡を取り合っていました。卒業の次の年に、僕が裕子と町中で偶然出会って、深く付き合うようになっても、彼女は一ノ瀬と連絡を取り合って、時々会ってもいたようです。裕子は男に対して平等というか開放的かつ誠実に向き合いますが、貞操観念は強く、僕と結婚するまで濃厚なキス以上に男に対して身体を許すことはありませんでした。

僕と結婚する前、妻が一ノ瀬とデートした時に彼が写した写真です。僕が妻を問い質して、
妻が一ノ瀬との関係を告白したときに、はじめて出してくれた写真の一枚です。二人の間に
性行為はありませんでした。ただ、唇は...唇と舌は...一ノ瀬になされるがままだった、と... |
ー結婚後も続いてー
裕子が僕と出会ってからさらに1年経って、僕たちは結婚しました。裕子はその時に一ノ瀬との交際を終え、彼も納得して、その後しばらくは連絡もなかったそうです。でも、新婚三ヵ月の頃に連絡があり、やさしい裕子は一ノ瀬との交際を夫には内緒で再開したのでした。人妻となっていた裕子はそれまで以上に性的なものに寛容となっていたせいか、一ノ瀬と本格的に肉体関係を結び、月に一度くらいの割合で仕事で札幌に出てくる一ノ瀬と性交するようになりました。

妻は...いえ、裕子は...同じ笑顔を夫の僕にも、そして忌むべき一ノ瀬にも
向けていたのです。二人の男を受け入れていたのです。体は夫の僕に占有権を
認めていましたが(それも最初のうちだけでした)、花のような唇は一ノ瀬だけを
受け入れ続けたのです。妻の柔らかい唇は今も僕に対して固く閉ざされたままです... |
ー女の歓びを教えられてー
そして、交際を再開してから1年以内に一ノ瀬から女の歓びを教えられたのです。僕が妻に教えられなかった目くるめく女の身体の歓び!...妻は実質的に一ノ瀬の女になりました。一ノ瀬の性奴隷に落とされた、と言って過言ではないでしょう。でも、妻は僕との生活も大切にしたいと言って、僕との爛れた性生活も惰性のように続きました。

この妻の写真は夫が写したものではありません。一ノ瀬が
写したもの。デートで千歳に行った時の撮影のようです。妻は
僕と結婚して1年ほどでした。一ノ瀬に微笑みかけ、一ノ瀬から
女の悦びを教えられた体をプリンセスラインのコートで隠しています... |
ー夫婦生活ー
妻と一ノ瀬の関係は僕の知らないまま続けられました。性奴隷として一ノ瀬の性に奉仕させられ、自分の性的快感を与えてもらうために一ノ瀬に媚び阿り懇願する妻の性生活は、僕とのフェティッシュで変態的な性生活とは全く独立に並行して続けられたのです。奇妙なパラレル・ワールドがほぼ20年にわたって続いたのです!...妻は固い意志で一ノ瀬との性生活と僕との性生活を分離し通し、かつ僕との日常生活を強い希望をもって継続したのです。彼女の秘密は完璧に守り抜かれたのです。僕としては、妻と一ノ瀬とのことは口惜しい限りですが、彼女の積極的な生活実践意欲には感嘆せざるを得ないし、敬意さえ抱いてしまいます。
ー半年前:一ノ瀬との交際を知られてー
半年ほど前に僕が彼らを町中で見かけ、そのことを妻に厳しく問い質した夜から、それまでのパラレル・ワールドに少し変化が生じました。僕は妻と一ノ瀬との性関係を許し、妻はそのことを彼に伝えたのです。それまでも、妻の情報伝達は言わば電気の整流回路のようなものでした。つまり、20年間にわたって僕との性生活の詳細は妻から一ノ瀬に伝えられていたのですが、妻と一ノ瀬との性生活については僕に何も知らされなかったのです。すでにその段階で僕は妻にとって2番目の男だったのです。二人の関係を僕が認めることを知った一ノ瀬は、二人の男に順位をつけるよう妻に迫ったのです。妻は一ノ瀬が1番、僕が2番と順位をつけました。僕は妻にとって2番目の男になったのです。
ーふた月前:夫婦への挑戦ー
一ノ瀬は露骨に妻に連絡してくるようになりました。露骨に妻を僕と取り合うようになりました。ついこの間、ふた月ほど前には、釧路の彼の家に妻を呼び寄せ、僕から引き離した状態で一週間のあいだ妻と性交を重ねたのでした。肉体的な次元ですでに妻を僕から奪っている一ノ瀬は、精神的にも妻を僕から奪おうとしているのです。この”性の合宿”で、僕たち夫婦の精神的な繋がりをも掘り崩す作業に取り掛かったのでした。
一ノ瀬のこと
大学を卒業した後、一ノ瀬は釧路の実家の薬品卸業を継ぐべく、父親のもとで修行することになりました。卒業前から裕子とつき合っていて、卒業間際に結婚を申し込んだのですが、裕子は丁重にお断りしたと言っています。でも、その後も彼は裕子に手紙を書いたり電話したりで、仕事で札幌に出てくるたびに裕子を呼び出して会っていました。一ノ瀬と裕子の関係は、いろいろ形を変えながらも二十数年前の学生時代から今に到るまで続いているのです。
ー卒業前後ー
小柄で、どちらかというと痩せてはいない体格の持ち主の一ノ瀬ですが、特徴は外観にではなく性格や言葉・行動にありました。とても精力的というかエネルギッシュで、社会問題への関心も高く、ゼミでも積極的に発言していました。と同時に女子学生へのアプローチも非常に盛んで、2年生後半から4年生前半にかけては、ゼミで一番の美貌の持ち主に執心していました。ボーイッシュな彼女は大学ホッケー部でマネージャーを務めるマドンナ的な存在で、僕が知る限りでも複数の熱心なボーイフレンドがいました。一ノ瀬が彼女とどこまで行ったか知りませんが、4年生の秋になると、彼女のことはあきらめたようで、猛烈に裕子に接近して来ました。僕などは自分から裕子に声をかけることもできない小心者だったに対して、彼はとても積極的で、裕子の社会的関心に合わせた会話で裕子を自分の考え方に引き込む勢いでした。裕子も一ノ瀬に関心はっていました。スナックのカウンターで長いキスをする程度に一ノ瀬を許していました。愛していたかもしれません...が、卒業前に彼が結婚を申し込んだとき、裕子は苦渋の決断で断ったのでした。家庭の事情で彼は釧路、裕子は札幌という町に縛られる存在だったのです。でも、卒業後に離れ離れになっても二人は連絡を取り合い、彼が仕事で出てくる時は会っていたようです。ただ話をするというだけで、性愛的な触れ合いはなかったようです。
ー僕たちの結婚前後ー
僕と裕子が結婚する時、彼女は一ノ瀬との連絡を絶ちました。彼も納得してくれたとのことでした。でも、結婚後3か月経った頃に裕子の...妻の職場に電話がありました。裕子はやさしい女です。と同時に正直で誠実な女です。学生時代には幾人かのボーイフレンドとつきあっていましたが、デートを重ねていくと人生観や社会意識、種々の価値観の違いが出て来ます。この人とは一緒に生きて行くことはできない...そう判断せざるを得ない時がやってきます。そんな時、裕子は相手に自分との違いを諄々と説いて聞かせて相手に納得してもらったうえで別れてきたのです。相手を傷つけないように...自分を裏切らないように...その意味で卒業後も...そしてその後20年間も...つき合い続けた一ノ瀬は、裕子が精神的に受け入れた最初の男だったのです。肉体的には僕の次に裕子を抱いた男でしたが...。結婚して間もない頃に電話を受けた裕子は、自分の人妻としての立場を一ノ瀬に諭しました。が、彼の熱意は尋常ではなかった...裕子は彼を断り切れませんでした。心は揺れたと思うけど、彼女は僕と同様に彼をも受け入れたのでした。僕と裕子が結婚して半年も経たないうちに、彼女は一ノ瀬に身体を許していました。外から見ればふしだらな女かも知れません。意志の弱い女かも知れません。でも、彼女の頭の中では、二人の男のどちらも傷つけない唯一の道だったということでしょう。僕はそんなふうに彼女を...妻を...理解しています。

この時期、妻は二人の男に抱かれていました。妻は
二人の男それぞれに忠実でした。彼女なりの納得の
仕方で生きていたのです。今になっても僕はそんな
妻を責めるつもりはありません。ただ、どうしようも
なく嫉妬の炎が脳髄で燃え狂って嗜虐的になるのです。
と同時に、妻を奪われた隠微な歓びに体が昂るのです。 |
ー20年間の調教ー
残念ながら僕は性的に下手な男でした。自分の快楽ばかり考えて、妻が歓びを覚える前に行ってしまう...せっかくフェティッシュな趣向やSMプレーで妻も高ぶっているのに、ひとりよがりのセックスを終えて早々と妻の身体から離れてしまうのでした。妻は中途半端な身体と心で残されたのです。若い頃は、それでも、性交の頻度で僕の欠点を補っていました。スカートやランジェリー、エプロンやハイヒール、さらにはSMグッズやSM行為などのおかげで、僕自身は毎日のように発情していました。この頻度が僕の年齢とともに下がって行った時、裕子は一ノ瀬から女の歓び...女の身体の歓び...を教えられたのです。きっと一ノ瀬の身体と性技が裕子の身体と相性が良かったのでしょう。見るからに精力的で情熱的な男...そんな一ノ瀬は、華奢な体格の僕とは大違いです。さぞかし裕子にはたくましく感じられたことでしょう。そんな彼はまた僕と同じようなスカートフェチなのです。ランジェリーやストッキングについてはこだわりがないようですが、スカートについては一家言を持っていて、裕子との性生活のみならず裕子と僕の日常生活においても彼女のスカートの選択を支配していたのです。好みは僕も一ノ瀬も似ているらしくて、僕はてっきり妻が仕事に行ったり外出したりする時のスカートは僕の好みを選んでいると思っていたのですが、実は一ノ瀬に命令されていたのです。

新婚半年の頃、友達と会うと言って最寄りのバス停に向かう妻。
この時は女友達に会うのだろうと勝手に思っていました。後になって
知ったことですが、この時妻はすでに一ノ瀬から性的な調教を受けて
いたのです。この時の妻はいったい何を期待して出かけて行ったのか... |
一ノ瀬とのセックスで女の身体の歓びを知った裕子は、彼から離れることはできなくなり、彼の言いなりでした。20年の間、一ノ瀬はやりたい放題でした。裕子は一ノ瀬の奴隷に...性奴隷に...落とされ、そしてきびしく調教されたのです。それでも裕子は僕の妻として暮らす道を固く守りました。20年の間に裕子の家庭の事情も変化して、彼女を札幌の町にとどめる理由はなくなっているのです。にもかかわらず彼女が僕を見捨てなかったのは、裕子のやさしさだったかも知れません。しかし、一ノ瀬の指示もあったようです。なぜ?...彼にしてみれば、人妻をいつでも犯せる生活は楽しかったから...裕子の苦悩を楽しんでいるのです。裕子を精神的に苦しめながら、その身体から快楽をむさぼり、彼女の性的反応を冷徹に観察することで、彼女に対して優位を保持しているのです。
ー半年前:目撃ー
僕が妻と一ノ瀬が町中で一緒にいるところを目撃し、そのことを妻に問い質した時、妻はこれまで20年にわたる彼との性生活を告白してくれました。僕は嫉妬で狂いそうになりましたが、妻の心を知って彼女を許しました。一ノ瀬とのこれまでの関係を許し、そしてこれからの関係も許したのです。妻はそのことを一ノ瀬に伝えました。彼は自分の勝利を知りました。僕から裕子を奪ったこと...いえ、奪い得たこと...を知ったのです。それ以降、彼は堂々と僕たちの時間に入り込むようになりました。妻を呼び出して性交を楽しむだけでなく、二人の時間を楽しみました。妻に一ノ瀬と僕のどちらを選ぶのか迫り、妻は性生活では一ノ瀬、婚姻関係では僕を選んだのです。順位をつけるよう妻に迫り、妻は婚姻以外の領域では一ノ瀬が一番目、夫の僕が2番目と決めたのです。
ーふた月前:挑戦ー
一ノ瀬は釧路の自分の家に妻を連れて行き、そこで十日間にわたって妻に徹底的な性的調教を施しました。妻の身体にピアスを施し、陰部を完全剃毛し、髪型を変え、コンタクトから眼鏡に変え、アクセサリを与え、彼好みの化粧をさせ、彼好みの短いフレアミニスカートを穿かせた恥ずかしい姿でJRに乗せて、僕の元に帰らせたのでした。スカートの中はノーパン...太ももやお尻には鞭で打たれた痕が無数に残っていました。僕が妻に何をされたの?と聞いても妻は何も答えられないと言うのです。一ノ瀬に禁じられているのだと。僕たちの性生活については事細かに彼に報告しなければならないけど、一ノ瀬と妻の性生活については何も僕に言ってはならないと。釧路に向けて彼の車で出発する朝、一ノ瀬は僕たちの住まいを訪れ、家の中を妻の案内で見て回りました。寝室を特に念入りに見て回り...彼は僕たち夫婦のプライバシーを何もかも知りたがりました。妻はそんな彼に何もかも話さなければなりませんでした。そして釧路の彼の家での”性の合宿”......一ノ瀬は妻の身体のみならず心にまで踏み込み始めました。裕子と僕という夫婦の精神的繋がりにくさびを打ち込み始めたのです。裕子の身体はもう20年近く、一ノ瀬に支配されています。次は彼女の心......僕は裕子の...妻の心を繋ぎ留めておくことができるのでしょうか?
澤村のこと
大学時代の澤村はとてもまじめな学生で、読書家でした。3年生の頃は、僕たちとは違って大学院に進みたいと言っていましたが、4年生になる頃には家庭の事情で就職しなければならなくなりました。裕子に好意を持っていたと思います。が、特に彼女に働きかけた様子は見られませんでした。卒業と同時に彼は就職で東京へ行きました。世田谷に住んでいて、一度訪れたことがあります。僕は出張で上京した時でした。同じゼミだった田邊良樹と一緒でした。卒業後2年くらい経ってたと思います。アパートの彼の部屋には、コミックやフランス文庫がいっぱい!彼は僕たちに見るな見るなと叫んでいましたが、タイトルだけで内容を容易に想像できるものばかり...でもその時は彼の本当の性的嗜好を知ることはできませんでした。今の澤村の僕に対する仕打ち...スカート姿の僕に対する仕打ちは、この頃の彼の自慰生活で胚胎していたものだったのです。
ー卒業してからー
澤村は10年ほど前に家の事情で札幌に戻って、僕と同じ業界の別会社に職を得ていました。中途採用、しかも急な話だったので、それまでのキャリアとは異なる仕事に就かざるを得ませんでした。当然、収入も地位もダウンサイズとなって、彼は社会に対して不満を抱いていました。もともと家の事情で結婚もあきらめていた澤村です。順調な生活を送っている僕に対しても、何らかの思いがあったと思います。澤村も学生時代、裕子には関心を持っていたから......彼が札幌に戻ってからは、年に平均2,3回会ったと思います。駅で偶然出会ったこともあるし、仕事上の場所で出くわしたこともありました。二人だけの忘年会は毎年でした。家に呼んで、妻も一緒にビールを飲んだこともあります(そんな時の僕はもちろん男モードです)。でも、そんな時も彼が女装について何を思っているか、何を考えているか、話題に出たこともないし、僕が勘ぐったこともありませんでした。
ー1年前の目撃ー
澤村がスカート姿で歩いている僕を見かけて、追尾し、そして携帯で撮影したのは1年くらい前のことでした。まったくの偶然で、僕は最初無視しましたが、彼は確信を持って僕に近づき、決定的な映像を記録したのでした。数日後、彼は僕をホテルに呼び出しました。同じ服装で待っているように、との指示でした。弱みを握られてしまった以上、彼の指示は命令でした。僕はもう彼の言いなりです。澤村はスカート姿の僕にとても興味を持って、いろいろと事細かに訊いてきました。訊問です。僕は正直に答えました。僕は澤村を信頼しています。彼の奴隷に落とされるなら...性奴隷に落とされるなら、文句は何もありません。むしろ望むところです。これまで、妻の留守中にスカート姿で被虐妄想に耽って性器をシゴく時、僕が夢見ていた状況そのものだからです。その夢が実現したのです!たとえ澤村の性欲のはけ口としてであるにしても、僕を...スカート姿の僕を...彼の性奴隷に落としてくれてとても嬉しかった......
ー調教される僕ー
澤村にスカート姿を見られてしまってからほぼ1年...あの日以来、僕は澤村の女装マゾ性奴隷として、妻には内緒で厳しい調教を受け続けています。僕の性感は調教とともに敏感になって行きました。月に一度くらいの頻度で僕は有給を取らされて、澤村のアパートで丸一日、スカート姿のフルモードで折檻を受けています。それ以外にも外回りの時や倉庫往復時には10分、20分単位で全裸調教を受けます。僕の射精は澤村に管理されています。勝手に射精することは許されません。妻との性交は澤村の許しが得られた時だけ......たとえば、次のフルモードでの調教の日までに1回だけ...妻との性交が少なくなった分、僕と妻の繋がりは薄くなり、一ノ瀬と妻の繋がりは強くなって行くのです。つまり、澤村に調教されて彼の性奴隷として躾けられて行けば行くほど、僕は澤村の手技から離れられなくなるとともに妻から引き離され、同時に(それは澤村の意図するところではないにしても)妻と一ノ瀬との身体的・精神的繋がりが強化されていくのです。ああ...そんな...

性的な調教が進むにつれて、妻とのセックスでは満足が
得られない体と心に変えられて行きます。苛められ、鞭で
打たれ、性的な辱めを受けなければ、満足できない体と心。
その結果、夫婦の性生活は衰退し、妻の体と心は夫から離れて
行きました。その分、一ノ瀬が妻につけ込む余地が広がって... |
パラレル・ワールドの収斂
僕と妻裕子、僕と澤村、妻と一ノ瀬、という3組の性生活は、互いに秘密で、あからさまに干渉することもなく、各自の人生の時間進行の中でパラレルに進行して行くはずでした。もちろん夫婦の性生活には隠微な影響が少なからずあったけれど、3組それぞれの性生活は、僕と裕子の結婚以来いちおう互いに干渉することなく進んできたのでした。ところが、スカート姿の僕が澤村から市中引き回しの罰を受けている様子を、裕子と一ノ瀬の二人が昼下がりの大通公園で目撃してしまった瞬間、それまでの3本の平行線がはっきりと交わったのです。3つの倒錯した性のパラレル・ワールドは1つの世界に...僕にとって生き地獄に...収斂したのでした。
|
前ページ 次ページ
|