夫婦奴隷の淫靡な性生活
第一部 夫婦奴隷に落とされるまで...
パート3
友人の性奴隷に落とされていた妻

 ここでも、性奴隷というのは比喩的な表現です。妻が夫以外の男性から性的な悦びを身体で教えられ、その悦びが “調教” によってがさらに強化されることで相手からもう逃げられなくされた状態を指しています。相手に与えてもらう快楽なしでは生きられない身体と心にされてしまった妻は、相手の言いなりです。そんな相手は妻にとってのご主人さま。妻はご主人さまに命令されれば、何でも従う従順な奴隷なのです。性奴隷……

ー大学時代ー
 僕のことはしばらく措いておくことにして、ここで妻Y子のことを書きましょう。これは少し長くなると思います。僕とY子、そしてSとTは大学で同級生でした。卒業までの2年間、同じゼミに所属していたのです。Y子はその頃からほぼいつもスカート姿でした。ある時期、僕はY子のスカート姿を毎晩のように思い出しては手淫に耽ったものでした。彼女のストッキング(パンスト?)の色が好きでした。3年生の冬くらいから、僕はY子に好意を抱くようになりました。Y子は学内外の山歩きの会に属していて、ボーイフレンドもそこで何人かいたようです。Tは、最初は同じゼミの他の女子に並々ならぬ関心を持っていたようですが、最終的に振られたようで、僕よりも遅れてY子に食指を伸ばすようになりました。彼はとてもエネルギッシュな男で、小柄ながら女性への向き合い方は非常に積極的でした。僕とは正反対の男だったのです。やがて彼らは付き合うようになりました。授業でもゼミでも、二人が一緒にいたり何か話し込んでいたりするのを、僕は横目で見ながら嫉妬していました。僕とY子が二人だけで話し込んだり飲みに行ったりすることはありませんでした。

ーひとりの女子学生と二人の男子学生ー
 僕たちが所属していたのは、アジア経済ゼミでした。その中身について、かろうじて卒業できた劣等生の僕から説明できることは何もありません。ただ一つ、僕とTとで意見の違いというか、幼いながらも思想の違いというか、そういうものがあったことは事実です。それは政治的立場にも、生活態度にも表れました(もっとも就学態度はどちらも似たものでしたが…)。Sは極めて現実的な家庭の問題を抱えていたし、Y子は山歩きとその仲間たちとの付き合いに忙しくて、僕たちの話を聞くだけで、ゼミでの抽象的な議論に参加することはありませんでした。そんな意味で僕とTは、生活では友人であり思想では敵だったのです。Tは折に触れて、Y子に自分の考えを事細かに説明し、僕との違いを論っていました。彼と面と向かって個人的に議論したことのない僕はと言えば、ただ黙って見ているだけでした。

ー舌を吸われる女子学生ー
 ある飲み会でのこと。解散後の二次会で数名がスナックのカウンターに並びました。ゼミで時々行っていたドルフィンという店でした。端に座ったY子とT。2、3人離れて座っていた僕は、しばらくして彼らがキスをしていることに気がつきました。長〜い濃厚なキスでした。きっとTの舌がY子の唇を押し開いて侵入し、Y子の舌を吸っている…僕はそう直感しました。Y子も感じている。だってほろ酔いのY子の表情があまりに恍惚としていたから・・・僕は黙って一人で店を出たのでした。

ー卒業後の結婚ー
 卒業して僕たちは一旦、ばらばらになりました。僕とY子は札幌で別々の会社(Y子は農協連合会、僕は電気工事関係の地方中小企業)に入り、Sは就職で東京へ行きました。Tは実家、釧路の薬品卸業を継ぐべく、父親のもとで修行することになりました。ほぼ一年後、雪解けでぬかるんだ北三条中通りで僕はY子とばったり出会いました。僕が気づいたのではなくY子から話しかけて来たのでした。卒業後しばらくは、みんなそれぞれの生活を軌道に乗せるので精一杯でした(後になってY子とTは、その間も手紙や電話で連絡を取り合っていたことを知ったのですが)。僕とY子はあらためて会う約束をして、その時は別れました。数日ののち、僕たちは大通りに面した喫茶店で会い、それぞれの生活を語り合いました。Y子は学生時代と変わらずスカート好きのようで、前回は紺のタイトミニ、この日はバイアスチェックのフレアスカートでした。学生時代は話し合ったこともない人生観や価値観、食の好みや趣味の話。それぞれ会社では思うことをそのまま話すことが難しいからか、二人ともはじめて本音を語り合ったのでした。それがきっかけとなって、僕たちはその後も二人で会い続けました。そして、いろいろあって、二人は一年ほど経って結婚したのでした。ささやかなパーティには、SもTも出席してくれました。

新婚早々の頃。台所で食事の後片付けをしている妻の後姿に欲情してしまうこともしばしばで、唐突に妻を抱きしめてしまったり...この時、妻は生脚です。

ー夫婦の倒錯した性生活ー
 結婚生活はごく普通の展開でしたが、こと性生活に関しては異常なほどに濃厚でした。それは僕がスカートやランジェリー、ストッキングなどで発情するフェチだったから…だから倦怠期というものがなかったのです。それに僕にはSM趣味があって、妻をノーパンで外出させたり、着衣のままで緊縛して辱めたりして性生活をリフレッシュし続けたのです。妻にはサディスティックに当たった僕ですが、自分にはマゾヒスティックに当たりました。それは肉体的というよりは精神的なマゾヒズムで、たとえば妻が中学や高校の同窓会に行くと言えば快諾し(ただしスカート姿で出席)、山仲間の飲み会に行くと言えば、飲み過ぎないようにと言って送り出しました。誘われれば泊まってきてもいいよ、と付け加えるのを忘れたことはありません。通常の倦怠期に当たる頃、僕の心には、妻が自分以外の男に犯され屈服させられる、という観念が棲みついていたのです。その観念は僕を被虐の淫靡な歓びに引きずり込むのでした。夜遅く戻った妻を性行為の中で厳しく問い質す時の屈折した悦び…僕はそんな倒錯した悦楽を徹底的に楽しんでいたのです。ただ不思議だったのは、どんなに厳しい責めにも耐え、どんなに恥ずかしい命令にも屈従した妻なのに、僕の舌をあくまで拒絶し続けたのでした。ペニスを咥えろと命令すれば咥え、陰嚢を舐めろと命令したら舐めたのに、そして唇と唇を合わせる接吻も許したのに、僕の舌の侵入だけは頑なに拒み続けた妻...その理由は追って思い知らされることに…

この日はセックスの前に近所を散歩しました。部屋を出る時、妻にはパンティを禁じてあります。
今から思えば、この10日ほど後に妻はTに犯され、女の体の歓びを知るようになって行くのです...

ー妻の男遍歴ー
 そんな陰惨な性生活に到ったのには、それなりの理由がありました。結婚してからも僕たちは二人で町中や郊外を歩き回りながら、互いにこれまでの自分について語り合ったものでした。そんな時、妻は過去に声を掛けてきた男や付き合った男たちのことを教えてくれたものでした。妻としては夫への忠誠を示すためだったのかも知れませんが、夫の心の中に生じる嫉妬の気持ちを想像することはできなかったようです。中学から高校にかけて付き合っていた男、大学時代の山歩きの会で知り合った男子学生、その後の会社員、そして今の勤め先の同僚・先輩たち。その中の何人かは、まだ現在形で妻への関心を持ち続けているようでした。僕たち夫婦が倒錯した爛れた性生活を送っていたのには、それなりの理由があったということです。ただ、こういう時に妻の口からTの名前が出ることはありませんでした。仕事から帰った妻...残業から帰った妻...昼間の同窓会から帰った妻...夜の会合から戻った妻...二次会から戻ったほろ酔いの妻...そんな妻との着衣セックスやSMセックスの隠微な快楽に耽っているうちに、年月は10年、20年と流れ去って行きました。

ー目撃された妻の浮気ー
 結婚後20年ほど経った秋の土曜日の夕方のことでした。妻はニセコ連峰へ泊りがけで出かけていました。僕は仕事帰りで(臨時の片付けが入ったため)札幌駅前通りを狸小路から大通り方面に向かって歩いていました。ふと通りの向かい側を見ると、妻のスカートが…僕の好みだったので、妻というよりはそのバイアスチェックのフレアミニスカートに目が行き、その結果として妻を見出したと言った方が正確でしょう。でも、妻は山歩きの格好で行ったはず…どうしてスカート姿なのか…それに誰かと一緒に歩いているようだけど、あれは?...僕はハッとしました。あれはTじゃないか!...もう二十年くらい会ってないけれど、160センチちょっとの身長といい、角ばった頭の形といい、あのくどい顔といい、Tに間違いありません。それにしてもどうしてアイツがY子と?...僕が呆然と佇立して見つめていると、二人は人混みの中を地下街への階段に消えて行ったのです。僕は彼らの後を追うこともなく、そのまま黙って帰宅しました。不思議なことに、さっき妻が穿いていたフレアスカートは、妻の納戸にちゃんと吊られてありました…

ーよりによって何故彼と?ー
 その夜、僕は悶々とした時間を過ごしました。妻がTに舌を吸われていた時の光景を、暗い部屋で一人思い出していました。妻が僕以外の男と親密になることは、日頃から望んでいたことでした。嫉妬を性欲に変換する脳内マシナリーがフル回転して、僕は妻にすべての身体能力をかけてぶつかっていったのです。そして淫靡な快感に溺れていたのです。だけど、そこには無意識のうちに妻の相手としてTだけは例外として扱っていた僕がいました。Y子を好きなように弄んでいたT……Y子も舌を吸われながら何故かTに屈従していたあの姿…忌むべき彼だけは、現実の妻の相手としては考えたくなかったのです。それなのに......。よりによって何故、彼なのか?

ーもっとも忌むべき男ー
 妻とのセックスの時に必ず僕が口にしたのは「Tくん」という言葉でした。結婚前、Y子がTと付き合っていたことは上に書いた通りです。「ドルフィン、覚えてる?…あそこでいつだったか、キスされてたけど、感じていたのかい?…舌を吸われていたの?…あの後はどこに行ったの?」…毎回のように僕は妻に問い質し、妻を追い詰めて行きました。でも、妻はいつも黙り込んで、僕の責めに耐え抜いたのです。それがかえって僕を嫉妬に狂わせ、性欲を掻き立てるのでした。妻がTを今どう思っているのか、そんな疑問が常に僕の心の片隅に浮かんでいました。先程町中で見かけた二人の様子から、今頃になってこの疑問に決定的な答えが与えられたように思われました。僕がもっとも望まなかった事態です。

ー妻を追及する僕ー
 翌日は日曜日。僕は妻が帰宅する予定の夕方まで、色々な無残な妄想を思い浮かべながら妻を待ちました。本来なら、妻を寝取られる被虐的な妄想を楽しむはずなのに、どうもそれができないのです。嫉妬を性欲に転化できない自分を訝しく思いながらも、時計の針は6時を過ぎ、8時を過ぎ、10時を過ぎました。そして妻が帰宅しました。山歩きの服装でした。妻がスカート姿に着替えて、互いに他愛ない話をしながら食卓で一休みした頃、僕は静かに切り出しました。

僕 「昨日、 町中で見かけたよ。狸小路から駅前通りを北に歩いていた時…一緒に歩いていたのは…あれは、Tくんかな?」

 突然のことだったようで、妻は僕をチラッと見て、凍りついたように黙り込みました。

僕 「ニセコに行ってたのじゃなかったんだ?」

妻 「……」

僕 「嘘だったんだ?」

妻 「……」

ー妻を訊問する僕ー
 妻は項垂れたまま黙っています。僕は妻に対して優位な立場にいることを意識しました。妻は隠し事を知られて、罪悪感に苦しめられている。追い詰められている……僕はそれまでとは違う語調で妻に命令しました。

僕 「そこに立つんだ、Y子!」

 妻を居間のドアの前に立たせました。ギンガムチェックのプリーツミニスカートに黒無地のニットを合わせた妻は、立たされたまま、まだ項垂れています。妻は訊かれたことには嘘を言えない性格でした。ただ黙り込むのが妻の癖でした。僕も椅子を食卓から引き出して坐り直しました。

僕 「いつからTくんと付き合ってるんだい?」

 妻は黙ったまま、スカートの裾から覗く両膝を固く合わせて立っています。俯いたまま…ニットが上半身のラインを綺麗に見せています。緊張のせいか大きく上下に規則正しく動く胸の膨らみ。くびれたウエストから高いヒップラインに至る女性らしい曲線。スカートのプリーツは腰回りでステッチ留めされているため、ヒップラインがなおさら綺麗に出ていたのです。僕は嗜虐的な気分に駆られて、さらに妻を追い詰めて行きました。

僕 「昨日の服装は、今はどうなってるの?…まさか、あれは僕の見た幻だったなんて言うんじゃないだろうね」

 あの時妻が穿いていたスカートは、ちゃんと家の納戸にあることは昨日この目で確認しました。どうなっているのか……

僕 「あの後どこへ行ったの?」

妻 「……」

僕 「何をしてたんだい?」

妻 「……」

僕 「言いたくなかったら言わなくてもいいよ。何があっても僕はY子と一緒だから安心して」

 僕はY子を愛していました。と言うより、妻の身体に執着していたと言った方が正確かも知れません。Y子の形のいい唇に…スカートの下で盛り上がるヒップに…男の耳を擽ぐる声に…だから、妻が浮気しても、妻が家に帰って来る限り、僕は妻の浮気を認めるつもりでした。妻もそのことは分かっているはずです。普通なら僕の嫉妬は性欲に変換されるはずだったから……

ー妻の告白ー
 それまで俯いたまま黙り込んでいた妻は、観念したように僕の方を見ました。心なしか肩が小さく震えています。僕はすぐにでも立ち上がって妻をこの腕で抱きしめたかった...でも、なんとか踏み止まりました。そうしてしまったら、もうこのまま妻を許してしまう、と思ったから...

妻 「分かったわ。お話しします。あなたに何もかもお話しするわ。椅子に座らせてくれる?」

 僕とY子はあらためて食卓に座り、Y子はコーヒーを淹れてくれました。深夜の居間に外からの雑音は一切聞こえません。静まり返った夜でした。その時妻が語ったことは大きな衝撃でした。でも僕の妻への執着をますます増長するものでもあったのです。

 妻は僕と結婚した後もTとのつきあいを続けていたのでした。卒業前に彼からプロポーズされたようですが、それは断ったと。理由は、Tがそれまで他の女性と付き合っていたこと、そして彼女自身が家庭の事情で札幌を離れられなかったことでした。Tは釧路に戻っていたのでした。でも、付き合いは続きました。折々の電話と電子メール、そして月に一回ほどのペースで彼が札幌に出てきて、喫茶店で近況を語り合っていたようです。ただし、その頃はその程度の付き合い方で、学生時代にキスまで……濃厚なディープキスまで進んでいた彼らの肉体関係は、そこで止まっていたようです。結婚後、僕はY子が処女だったことを知りました…。

ー瓜子姫と天邪鬼ー
 Y子とTの関係が深まったのは、むしろY子が僕と結婚してからでした。結婚前にY子はTにもう連絡しないこと、合わないことを誓わせたそうです。でも、僕たちが結婚したのは春でしたが、もう夏には、妻の仕事先に彼が連絡してきたとのことでした。強引なTの誘いを妻は断れなかったとも。何回か、僕に隠れてTとデートを重ねた妻は、徐々にTの性欲をも受け止めるようになって行きました。妻は優しい女です。Tは妻のそんな優しさにつけ入り、そして妻の心の扉をこじ開けることに成功したのでした。そして、身体の扉も......。妻が話していた「瓜子姫と天邪鬼」の昔話…天邪鬼の言葉につい少しだけ開けてしまった扉…それをこじ開けられて瓜子姫は天邪鬼に捕らえられ、縛られ、そして吊るされて……妻の心に小さい頃から棲みついていたそんなイメージが現実になった時、妻は観念したそうです。これが私の運命なんだわ、って…。

 
結婚後1年ほどの僕と妻です。妻が選ぶスカートは僕を喜ばせるためと思っていました。でも実はそうではなかった...
妻はTの命令に従っていただけでした。この時の妻は、すでにTの体を受け入れていた...Tに屈服させられていたのです...

ー絡めとられた妻ー
 要するに僕たちの結婚生活が始まって3ヶ月ちょっとで、妻はTに絡め取られて行ったのです。驚いたことに、Tも僕と同じようなスカートフェチでした。彼はデートの前に妻に電話で服装を指定していたのです!…僕はてっきり妻の出勤時のスカート姿は僕の好みを表現しているものと思っていたけど、それは実はTの命令でもあったのです。いえ、妻は僕の希望よりもTの希望を……命令を優先していたのでした。駅前通りで二人を見た時の妻の服装、あれはたまたま同じスカートを僕とTがY子に買ったためでした。Tは札幌にアパートを借りていて、そこが二人の逢引の場所だったのです。妻とTの性生活のための衣装や小道具(そこにはもちろん淫ら極まりないSMグッズも入ります)は、すべてその部屋に収納されていました。妻はそこで山歩きの服からスカート姿に着替え、そしてその逆も行なっていたのです。僕たちの結婚生活が始まって半年ほど...妻がTと性的な関係を持つようになってから3ヶ月ほど...過ぎたある昼下がり、妻はTの執拗で老獪な責めではじめてイカされ、女の歓びを教えられました。僕は当初から早漏気味で、SM的な前戯やコスプレなどは派手だったけど、実質的な性交は淡白で、妻をアクメまでイカせる能力はありませんでした。

ー言いなりの妻ー
 妻はそのアパートの部屋でTの言いなりになっていました。Tの気が済むまで犯され続けたのです。いえ、妻は彼から身体の悦びを教えられたのですから、彼の言いなりに犯されたというのは不適当でしょう。Y子が自ら進んでTの性欲を受け入れたと言うべきなのです。悔しいけど、それが実情です。妻はTに抱かれて喜んでいたのです。そして、ますます離れられなくなって行ったのです。Tの責めを受けながら、Y子はいろいろ訊問されたようです。僕との結婚に到るまでの事情。僕の人生観、生活態度、政治姿勢のこと。それら僕の思想に対するY子の立場。僕との結婚生活の細かなこと。そして、僕との性生活のさらに細かなこと。最後の点については、毎回執拗に問い質されたそうです。どんな体位でどんな風に責められるのか…どの程度の精力なのか…どんな性的嗜好を持っているのか…僕の性感帯はどこなのか云々……妻はTのどんな問いにも正直に答えたと、僕とセックスをしながら告白しました。僕との生活で妻が見せた服装(特にスカート)もしぐさ(ある時は夫の目を拒絶し、ある時は夫の性欲をそそる動きやポーズ)も、Tの意向だったのです。ディープキスを拒み続けたのも、Tが妻に要求した彼への屈従の証だったとは、この時に知らされました。

ー追い詰められる妻ー
 僕がTを残酷な男だなと思ったのは、妻に最終的な選択をいつも強制したことです。食事や散歩の時には、僕の政治姿勢を取るか彼の政治姿勢を取るかを迫り、セックスの時には彼と僕とどちらが上手かを、妻は口で声に出して言わせられるのです。強い精力の持ち主のTは、年齢に似合わない老獪で執拗な責めで妻を絶頂間際までせり上げながら、屈服の言葉を強要するのです。「Tくんが正しいと思います。Tくんは間違っている。Tくんは幼稚で社会のクズです」……「Tくんが一番です。Tくんが最高!Tくんはダメ!セックスもキスも下手。あんな人は大嫌い。Tくんが好き!…大好きです!」……。追い詰められた妻に残されるのは、彼に媚び、かれに阿る道だけです。僕は屈服させられる妻の無念さを思い、彼の残酷さを思います。告白の後で、妻は「ごめんなさい」と付け加えるのを忘れませんでした。僕の女装SM趣味についてTに黙っていてくれたのは妻の僕に対する思いやりだったのでしょう(僕が女装マゾであることを妻の前でカミングアウトした後も、妻とTの関係は続いていました)。でも、やがてそんな優しさまでTは僕の妻から奪ってしまうのです。いいえ、僕から妻Y子を奪ってしまうのです。Y子はTの所有物となり、僕は彼らの奴隷に落とされる。そのときはじめて、僕はTの残酷さを自らの身体と精神で実感させられるのです……。

ー性の歓びを教えられた妻ー
 妻の遅帰りには、職場の送迎会、あるいは山歩きサークルの反省会など、様々な理由がありました。そんな遅帰りの半分はTのアパートでの密会だったようです。そして一年も経たないうちに、妻はTの責めに屈服させられ、その当初の精神的な嫌悪の代償として性の快楽を……生まれて初めて知った目眩く性の快楽を……自らの肉体で知ったのでした。僕が妻に与えることのできなかった性の快楽…それはTによって妻に与えられたのです。そのアパートの場所は、その時は教えてもらえませんでした。後になってから、スカート姿の僕の調教の場となるのですが、そのことはもっと後で……。

ー妻を奪われた僕ー
 身体の悦びは精神に深く刻み込まれ、妻は僕と結婚して一年ほどでTの言いなりの女になりました。妻Y子は僕の友人・Tの性奴隷に落とされたのでした。Tは自分の性欲のままに妻を呼び出し、妻の身体を貪ったのです。妻も身体を貪られて強烈な快楽を得ていたのです。しかし、そんな性奴隷の境遇に追い詰められても、僕への気持ちは変わらなかったと妻は言うのです。身体の悦びはそれとして、僕との結婚生活はそんな悦びとは別に彼女にとって大切なものなのだと……。妻のその気持ちは、僕にはどうにも理解に苦しむものに思えるのですが、僕としては妻と別れるつもりはない以上、このまま3人の生活を…Y子を僕とTの二人で共有する生活を続けて行こうと決意したのでした。妻が全てを僕に話してくれたことで、僕はTに対して優位に立った気分になっていたのです。何と言ってもY子と僕は法的な婚姻関係で結ばれているのですから。

初夏のある日の真夜中...Tとの逢瀬から帰宅した妻。このスカート姿でTと濃密な時間を過ごしていたのです。
でも、どんなにTの性技で泣かされ悦ばされても、Y子は僕の元に帰って来てくれます。僕はそんな妻をただちに...

ー妻を許した僕ー

 だから妻の告白の後も、僕は妻の自由を認めました。これまでと同じだと割り切ったのです。もともと僕は妻が自分以外の男、なかんずくTに屈従させられる光景を思い浮かべて嫉妬心を掻き立て、それを性欲に変換することで妻との爛れた性生活を楽しんできたのでした。二人の日常はこれまで通りで、楽しい日々、困った日々、忙しい日々が普通に続いて行きました。爛れた性生活もそのまま続きました。Tの存在が明らかになった後では、僕のマゾヒズムがますます増長して行きました。何故なら、妻がすべてをTに話したから…。夫がすべてを知った上で、Y子とTとの情交を認めたということをT自身が知ったのです。だからと言って、彼が僕たちを訪ねて来るということはありませんでした。ただ、電話は変わりました。それまで想像もしていなかった状況に僕たち夫婦は投げ込まれたのです。

ー呼び出された妻ー
 発端は、ある日突然かかってきた電話でした。セックスを二人で楽しみにしていた金曜日の夜……僕が出ました。まだ公園に雪がうっすらと残っている頃でした。

T 「はい、Tです」

T 「おお、Tか。Tです。久しぶり」

T 「……」

 僕は一瞬、言葉が出ませんでした。なんと言っていいのか。彼は僕たち夫婦のことを全部知っています。でも、僕が今、こんなスカート姿でいることは知らない…。

T 「元気か?…北洋電工は大丈夫なのか?」

 彼は僕の勤先のことを聞いてきました。道庁との不適切な取り引きに関するニュースで、先週、うちの会社の名前がちょっと出たのです。突然のことで、彼と話すことも特になかったのですが、簡単な雑談の後で彼は言ったのです。

T 「Fさんはいるかい?」

 妻を旧姓で呼ぶとは……。僕はカチンときましたが、それを抑えて、「ああ。今、替わる」と言って、そばにいた妻に受話器を渡しました」

T 「Tくんだ」

 妻は受話器を受け取ると、クルリと僕に背を向けて受話器を耳に持って行きました。

妻 「はい、Y子です」

 僕は妻の後ろ向きのスカート姿を見つめました。ギンガムチェックのプリーツスカートの下で盛り上がる高いヒップライン。裾から伸びるストッキングに包まれた形のいい脚。ちょうど夕食を終えて、これから、またじっくりと味わおうと思っていたY子の身体……。妻はハスキーなアルトの声で、Tに応対しています。何を言われているのか、僕には分かりません。妻の顔も見えません。妻の応対には冗談も混じらず気安さも感じられません。逆に、たとえば学生が先生と話している時のような緊張と真面目さを感じさせられました。

妻 「はい」、「いいえ、まだです」、「はい」……

 Y子は一瞬、振り向いて僕の存在を確認した上で、またクルリと向こうを向いて…スカートがフワッと揺れました。

妻 「はい。もちろんスカート…」

 Tの問いに…否、訊問にとても従順に答える妻の態度に僕は嫉妬しました。

妻 「ギンガムのあのプリーツスカートです」

妻 「モカブラウンです」

 Tから今の服装を執拗に訊かれているようです。妻はもう一度僕を振り返って見て、また反対を向きました。

妻 「これから?」

妻 「夫と予定があるんですけど…」

妻 「ごめんなさい。はい。……はい。それは…それはTくん……」

妻 「はい。分かりました。じゃ、これから……」

 妻は静かに受話器を戻して、ちょっと間をおいてから僕に向き直りました。プリーツスカートがやさしく揺れます。僕の目を見て、Y子は静かに話し出しました。

妻 「ごめん。これからTくんの所へ行かないと…」

T 「呼び出されたっていうこと?」

妻 「うん」

T 「僕たちのセックスは?」

妻 「ごめん。また明日、ね」

T 「僕は今、君を抱きたいんだけど…」

 僕はちょっと意地悪になって言いました。

妻 「本当にごめん。きっと約束は守るから。今すぐって言われたから…」

T 「僕よりTくん、ってことか…」

妻 「……」

 僕を見つめるY子の目に涙が浮かび、肩が小刻みに震え始めたと思うと、彼女はそのまま黙り込んで俯いてしまいました。プリーツスカートから伸びる脚がとても形良く見えました。

T 「いいよ。僕は構わない。すぐにTくんの所へ行っておいで。僕は君の帰りを待っている。必ず待っている。何日でも待ってるから」

 妻は僕に飛びついて来ました。僕は彼女の小さな肩を…震える肩を抱きしめました。大きな声で、思い切り泣き始めたのです。

T 「分かった。分かったよ。君の気持ちは分かってるつもりだ。さ、早く!…化粧を直して早くTくんの所へ行きなさい」

 妻は少し落ち着いたようでした。僕は妻の肩を両手で掴んで、手の長さいっぱいに引き離して言いました。

T 「早く行かないと、お仕置きされるんだろう?」

 僕がからかうと、妻は微笑みを浮かべて、しっかりとした口調で言いました。

妻 「Tくんのお仕置き、とっても厳しいのよ…」

 危ういことを平気で言う妻を急かして、とにかくも彼女を送り出したのです。彼女は化粧を直し、今までの服装に白いスプリングコートを羽織って慌ただしく出て行きました。ヒールの音を歩道に響かせながら……。

ー敗北の夜ー
 この夜、僕は妻の前でTに負けたのです。後になって思うと、これが僕たち夫婦の奴隷への第一歩だったのでした。妻のTへの隷従の実態を目の当たりにして、僕はある意味で吹っ切れたというかTの女になってしまっている妻をそのまま受け入れようと決心できたように思います。妻の心を……妻の身体を……夫の力ではもうどうすることもできないということを、はっきりと見せつけられた以上、僕としてはこの情況を楽しみながら生活して行くしかない、積極的にこの情況を僕の快楽のために利用して行かなければ損だと思うようになったのです。僕たち夫婦の日々の生活や僕の職業生活、妻の職業生活は変わらないのです。性生活だって、僕はこれまで通り妻を抱けるわけだし、Tと妻を奪い合う時だけ、僕が譲れば済むことです。何と言っても、僕が妻を抱く権利は婚姻という法的な力で保障されているのです!…それなら、今を楽しまなくっちゃ……。

ー共有される妻ー
 もともと僕は、妻のいろいろな形の浮気を妄想しては、それをタネにした嫉妬を性欲に変換してセックスを楽しんできた男です。でも、妻の告白で明らかになったのは、妻が決してふしだらな女ではなかったということ。むしろ妻はとても貞淑な、夫に対して忠実で正直な女だということでした。遅帰りは少なくなかったけど、身体を許していたのはTだけだったから……。唇を許した男性はもっといるはずですが、僕は敢えて訊きませんでした。もっとも、この忠実さ、正直さが夫だけでなく、Tにも向けられているところが僕には悩ましいのですが……。結局、僕は妻を実質的な意味ではTに奪われたけど、形式的には夫婦として確保したということです。洗濯や台所仕事をしている妻のスカート姿にTの学生時代の姿を重ね合わせながら、僕は様々な恥ずかしいことを命令して妻を苛めました。二人の命令がかち合わない限り、僕は妻に命令できたのです。

ー僕の記憶の中の彼ー
 卒業してから僕がTに会ったのは、2年ほど経って札幌市内で開かれたある有名評論家の講演会会場での一回きりでした。この時も、彼はY子と連絡を取り合っていたのです……。まだ学生時代の彼とそれほど違っていなかったので、僕の記憶の中のTは学生時代のままなのです。先日、駅前通りで妻と歩いている姿を見かけた時は、興奮と狼狽とで彼の姿を記憶に焼き付けることはできませんでした。妻は最新のTを……彼の身体を……知っているのでしょうが……。

ー抱かれて帰って来た妻ー
 金曜日、あの敗北の夜、妻はギンガムチェックのプリーツスカート姿の上に裾広がりのスプリングコートを羽織って、Tのアパートへ出かけて行きました。そんな妻をTがどのように辱めたのか、僕には分かりません。次の土曜日も帰らず、日曜日の午後になって同じ服装で戻って来ました。彼のアパートでは、セックスだけでなく、彼の妻として甲斐甲斐しく食事や料理に世話をしているようです。たまには先日町中で見かけたように買い物や散策も…。僕は嫉妬で高ぶりきっていました。戻って来た妻からコートを剥ぎ取り、抱きしめました。俯く彼女の顔を上げて、形のいい唇に僕の唇を押し当てました。柔らかい妻の唇を割ろうと試みましたが、妻は唇をいつものように固く閉じて頑なに僕の舌の侵入を拒みます。またか...僕は嫉妬で狂いました。妻がウウと呻き声を上げながら顔をそむけました。僕は妻のスカートの上から尻を掴み、激しく左右に揺さぶりました。そのまま妻を寝室に連れ込み、布団の上で四つん這いにさせました。妻も僕もスカート姿、しかもノーパンです。一昨日の夜、妻がTのアパートへ向かった時から今までの全てが僕たち夫婦にとっての前戯でした。僕はいきなり妻の身体に後ろから性器を突っ込みました。濡れそぼっている……Tの精液がまだ残っている……妻の身体に

僕 「Tに何回抱かれたんだ?」

 もちろん妻は黙ったまま厳しい突き上げに耐えています。

僕 「アイツに何回汚されたんだ?」

 妻の髪を掴み、それまで下を向いていた顔を上げさせました。枕元の大型姿見に映る自分の姿を……四つん這いにされ後ろから犯されている自分の凄惨な姿を見させられて、妻は最大限に興奮したようで、

妻 「許して…許して下さい…もう許して…」

 その夜は僕も何回も妻の身体を汚したのでした、年甲斐もなく……。

 妻の話はいったん止めて、ここで再び僕自身のことについてお話しさせて下さい。スカート姿をSに見られて、電話で呼び出された僕がどのような経験をしたか…どのような経験をさせられたか……。
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