夫婦奴隷の淫靡な性生活
第一部 夫婦奴隷に落とされるまで...
パート1
 これからお話しするのは、僕と妻のY子が50歳前後の頃の性生活です。結婚して20年余りが過ぎて、子供のいない夫婦でした。そのことを二人とも特に苦にするでもなく、フェティッシュな……見ようによっては異常な、あるいは変質者的な……性生活を惰性でおくっていた頃のことでした。

僕たち夫婦の紹介

 もともと僕たち夫婦は揃ってファッション...特に女性のファッション...に興味がありました。若い頃から国内外のファッションショーをテレビで見ては意見を言い合ったり、洋装に関する知識を競い合ったりしたものです。特にスカートについては、二人ともそれぞれの一家言を持っていたのです。もっとも、僕と妻とでは関心の在処が異なっていたのですが…

―僕のスカート趣味―
 僕には中学校以来、女装の被虐趣味があり、特にスカートやスリップ、ペチコートに異常な関心を持っていました。中学・高校の頃は、留守番の時に母の着古したランジェリーを着け、妹のスカートを穿いてオナニーに耽りました。大学の時は下宿、就職してからは寮生活だったこともあって、しばらくスカートから離れざるを得ませんでした。オナニーの時はいつもスカート姿の女性が辱められたり拷問にかけられたりする光景を想像していました。町で僕の好みのスカート姿の女性を見かけても、セックスしたいとは思いませんでした。彼女をオカズにした妄想の中で手淫に耽る時が何より幸せだったのです。

 やがて結婚しましたが、しばらくは、普通の性生活...ともに全裸でのセックス...を楽しみました。そのうち夫は全裸で、妻は短いネグリジェ、あるいはスリップだけというセックスに変わって行きました。僕たちが住んでいる町は北国で夜は夏でも涼しいくらい...30歳代後半に入る頃、妻は全裸やランジェリー姿でのセックスは寒いというようになりました。僕は妻に着衣のままでのセックスを提案しました。普通の服装のまま...スカート姿のまま...でセックスしよう、という提案でした。

 妻もこの方式を好むようになり、やがて僕は妻に好みのスカートを穿かせて、変態的な前戯を楽しんでからスカート姿の妻と媾うようになりました。興に乗った妻は”服装指定券”を作ってくれました。フレアミニやタイトなど、数枚の手製のカードで、僕が妻に善行をしたときに、このカードを使わせてくれたのです。
 
妻が発効する服装指定券はスカートを指定できただけではありません。トップスやコート、ヘア・アクセサリーや靴なども指定できましたし、
ランジェリーやストッキング、ガーターベルトの色など、女性としての装いの細部に至るまで、夫の好みを指定できました。もちろんメイクも...

 若夫婦らしい他愛ない性生活を送りながら、僕は10代の頃にスカートを穿いてオナニーに耽った時のあの淫靡な歓びを思い出していました。そしてある時、はっきりと意識したのです。今、その歓びをまた味わえるんだ、ということを。僕は再びスカート姿でのオナニーに耽るようになりました。妻の不在のときに彼女のスカートを穿いて一人で楽しみました。

 若い頃の僕は痩せていて、妻のスカートを穿くことが出来るくらいのウエストでした。妻にこれは似合うよと言って買わせて、その実、僕が借りて自分のもののように穿くということがしばしばでした。もちろん妻には内緒で、妻が仕事で家を空ける時に一人だけでスカート姿に変身して、淫靡な被虐妄想に耽って射精の快感に酔い痴れていました。休日など、妻が買い物に出るわずかの時間でも、スカート姿で射精を楽しみ、夜には同じスカートを妻に穿かせて性行為に耽ったものでした。妻が出張の時などは郊外の公園を歩いて遠くに人目を感じながら、スカートが風に乱れる恥辱の感触を楽しんだりもしました。

―妻の前でカミングアウト―
 ある時点から、僕は妻の前でスカート姿で過ごすことになりました。その経緯については、これまでに詳しくご報告しています。直線的なカミングアウトではなく、下着女装を見つかってしまった夫がなし崩し的にスカート女装を妻に認めてもらった、というのが実情です。その出発点には、夫の女装が夫婦双方にとって性的に有益であるという夫婦の寝室での事情がありました。妻は夫のスカート姿を快くは思っていませんでしたが、それで夫が性的に興奮すること、そして、その興奮の結果としての凶暴な性欲が自分に向けられることを知っていたため、表面的には渋々認めていたのでした。後に、双方にとって有益という前提が崩れた段階で、夫のスカート女装が終焉を迎えなければならなかったのは、今思えば、当然のことだったのです。

 その頃の僕の生活は...仕事から帰ると、男モードからスカート姿に変身します。ストッキングをガーターベルトで吊るのですが、時間がかかってしまい、夕食を整えて待つ妻がしばしば文句を言ったものでした。普段はブラジャーやキャミソールは着けませんし、純子として過ごす時の股縄やウィッグも使いません。セックスする心づもりの日は、夕食前からすべてを着けましたので、さらに時間がかかって妻の不興を買いました。でも、女装することで夫のパワーが増すことの利益を妻はその身体でよく知っていたので、不興もたいていは見せかけのものでした。
 
当時の夫婦の寝室での二人...ともにスカート姿です。この撮影の直後、このままの格好で性交が始まりました。

 そんな女装を僕たちは必ずしも近所の目から隠そうとはしませんでした。もちろんあからさまに僕の女装を顕示する意図はありませんでしたが、当時飼っていた犬の散歩......昼間と夜に行っていたのですが、夜の散歩は僕がスカート姿で連れて行っていました。時には夕方になったりして、近所の顔見知りの女子高生が寄ってきて顔を覗かれたこともありました。暗い中、家から通りに出て煙草を吸っているおじさんにも何回となく見られました。でも、特に騒がれるようなことはありませんでした。噂にはなっていたかもしれないけど、除雪当番とか町内会当番など、ふつうにこなして何も言われたり揶揄われたりしたことはありませんでした。僕が太り始めてからは、通販でしたが自分用に買うようになりました。自分のためにスカートを選ぶ喜び!...買う楽しさ!...そしてはじめて穿くときのあの淫靡な気分!...

女装夫は初めて家から出されて妻のカメラで撮影されました。誰が見ているか分からない近所の道路で...

―僕の被虐趣味―
 同じ理由で、妻は夫の被虐趣味も容認してくれていました。僕は鞭打たれたり辱められたりして興奮するマゾヒストです。女装マゾです。妻は若干嗜虐的なところがあり、気が向くと自分から「お尻、ぶたれたい?」とか「引き回しはどう?」などとスカート姿の僕を揶揄うのです。僕が「お願いします、奥様」というと、実際に僕をうつ伏せに寝かせた上でスカートや下着を捲り上げて剥き出しのお尻にベルト鞭を執拗に入れることが何回かありました。僕のズボン用の太い革ベルトです...雪が残る日の昼下がり、「撮影会よ」と言って、スカート姿の僕を町内で引き回しで携帯で撮影したことも...。そういうことをされると、僕の身体はスカートの下でつらくなって、いつもに増して妻の身体に厳しく挑みかかって行くのでした。でも、僕たち夫婦の性生活で、僕の被虐趣味や妻の嗜虐趣味が大きな意味を持っていたかというと、決してそうではなかったと思っています。妻のサディズムはお遊びのようなものでしたし、僕のマゾヒズムは僕だけのもの...僕の妄想の中だけのもの...スカート姿で同性に辱められる妄想や妻を友人に奪われる妄想が僕のマゾヒズムの本質であって、それは自分だけの世界のものだったのです。

 夫婦の性生活は、たまにSM趣味が高じる時以外はごく普通のセックスが主流でした。もっとも、僕が仕事から帰宅してスカート姿に着替えて居間に入った時に、妻が「今日はどんな下着にしたの?」と言いながら僕のスカートを捲り、ペチコートも1枚ずつ捲って「相変わらずなのね」と僕を馬鹿にすることはしばしばでした(妻は決してペチコートを重ねることがありません)。妻は僕がパンティを着けているか否かを検査したのです。僕のノーパンを妻は嫌がりました。こんな夫の下着検査を気安く実行する妻の習性には、その心の中に意地悪だけど軽微なサディズムが常駐していることを窺わせるものがありました。

―妻のスカート好み―
 僕は自分だけでなく、妻にも自分の好みのスカートを要求しました。性生活でのみならず普段の日常生活でも、妻にパンツ姿は禁じていたのです。幸いに妻も、パンツは下半身の線が出るからといって、趣味の山歩きの時以外は、スカートを好んでいました。僕が自分のスカートを買うときはたいてい通販だったのですが、妻は必ず試着していました。若い頃のお気に入りは『銀座ゲルラン』で、札幌には当時二軒出店していたのです。記憶に間違いがなければ駅ビルエスタの地下と南一条パルコでした。パルコでは、たまたまショーウィンドウで紺無地の膝丈プリーツスカートを見かけて僕が気に入ったので、妻に勧めました。決して安いものではないので、妻は及び腰でしたが、僕が店員に声をかけてくれるなら試着すると言いました。僕は恥ずかしかったけど、女店員に「ショーウィンドウの紺のプリーツスカートですが云々」と切り出し、何とか妻に買わせることができました。ほかにも8枚はぎの細かいグレンチェックのフレアスカートや紺無地のフレアミニとか...タルボットやメルローズもお気に入りでした。これらは仕事や外出用。室内用にはイーストボーイやボビー・ブルックスなど...もちろん大半はあの頃全盛だったダイエーや通販セシールなどで買っていました。

 妻は農業関係の大きな団体に勤めていましたが、仕事ではたいていスカート姿でした。僕からの妻への要求はスカートというだけで、値段の高い低いは関係ありませんでした。選択は妻に任せていました。セックスでも同様ですが、妻は用心して高いスカートは用心して穿かないようにしていたようです。精液で汚されたら、クリーニング代がかかるから...。トップスやストッキング、靴は妻が自分のスタイルで決めていました。ただし、パンストは禁止、ガーターベルトが必要条件でした。週に2回ほどの性交でした。セックスの日は、仕事から戻った妻にそのままの服装をさせて、夕御飯を食べました。食事の用意は妻、仕事帰りのそのスカート姿が忙しく立ち働く様子を後ろから見ながら、僕は今日の妻の職場での出来事を想像するのでした......。食後の後片づけは僕の仕事でした。スカート姿を後ろから妻に見られながら・・・


夫婦の性生活

 セックスの日の食後、僕が後片づけをしている時から布団に入るまでの時間。それはすべてなんらかの意味で前戯の時間でした。二人ともノーパンになったスカート姿で、その日の出来事を語り合ったり、僕の好きなSMビデオを流しながら思うことを喋りあったり、SMごっこをしたり、互いのスカート姿を評したり撮影したり・・・もっとも、妻は基本的に無口で、喋るのはもっぱら僕の方でしたが、妻は微笑で頷いたり、恥ずかしそうに俯いたりして反応してくれました。年齢に似合わない素直さを保ち続けていたのです。

妻のスカート姿。性交時でも平常時でも、妻が
選ぶスカートは妻の意志でだと思っていました。でも、
後になって、実はTの指示によるものだったと知りました...

―着衣セックス―
 二人とも着衣のままのセックス……僕は対面座位、妻は後背位が好みで、前者で入って後者に移り、再度前者に戻るというのが定番コースでした。時によっては、後者から始めることもありましたが、最後は必ず対面座位で楽しんでから正常位でフィニッシュを迎えたものでした。胡座坐りの僕に股がされた妻の両脚はいっぱいに伸び、二人の結合部は太ももと一緒に妻のスカートで覆われています。僕は妻を強弱つけて突き上げながら、妻のブラウスのボタンをゆっくりと外して肩を剥き出しにして、それからキャミソールの肩紐を下ろし、ブラジャーから乳房を剥き出します。それを厳しく揉んだり、乳首を吸ったり抓ったりしながら、妻の表情を……形のいい唇を半開きにして、喘いだり呻いたりする妻の表情を……苦痛に歪み、快感に酔い、恥辱に耐える妻の表情を心ゆくまで楽しむのでした。それは他人から見れば月並みで凡庸な行為だったでしょうが、二人にとっては真剣な快楽追求のための行為だったのです。

二人がベッドで絡み合う時、二人のスカートが乱れて夫のペチコートや妻のスリップが露わになって...
夫はそんな光景に益々興奮するのです。でもこの時、妻は既にTの性奴隷に落とされていたのでした...

―夫も妻もスカートで―
 セックスの日は僕はフレアミニ、妻はいくつかの僕の好みの中からフリー・チョイス。妻が長いスカートを選ぼうと短いスカートを選ぼうと、それは妻次第。僕は妻のスカート姿を楽しみながら性的な行為に進むのでした。セックスの翌日など、性行為のない日は、僕もミディ丈やミモレ丈のスカートを選ぶことがありました。スカートの楽しいところは、一つにはその時の気分で選べる範囲が広いこと。ズボンでは決して得られない楽しさです。

夫のスカートの上から、勃起した性器の重さを白い小さな手で確かめる妻。
やがてこのあとで自分の身体を犯してくる肉棒の逞しさを楽しんでいるのです。
妻はTにも同じことをしているのか...夫は嫉妬の炎に焼かれて、ますます凶暴に...

―妻の遅帰り―
 妻が仕事で、夫よりも帰宅が遅くなることもありました。そんな時、妻の浮気を妄想しながら高ぶっていた夫は、薄く化粧直ししてスカート姿で帰宅した妻を、自分もスカート姿で出迎えるのでした。同窓会や勤務先の忘年会や歓送迎会、趣味の山歩きの会の会合などには、積極的に出るように勧めていました。ただし、スカートの奥はノーパンという条件で……妻は最初は嫌がっていましたが、それが夫の激しい性行為につながることを納得すると、自分から進んで飲み会にも出るようになりました。

この撮影の直後、この服装のままで妻を犯しました。スカート姿の夫がスカート姿の妻を責める異様な光景...

―夫の淫らな妄想―
 たとえば或る夜のこと。この日は職場の忘年会でした。午前零時を回ってから鳴る玄関チャイム。ほろ酔いで帰宅した妻を、僕は扉まで出迎えます。出て行った時と同じスカート姿。妻は上気した顔を夫に向け、彼女の濡れた視線と夫の嫉妬に燃える視線が淫靡に絡み合います。パンプスを脱いで玄関から上がった妻をその場で抱きしめると、妻はハンドバッグを片手に提げた状態で、予想外の強い力に呻き声を絞り出すように洩らします。「どうだった?」...「二次会は誰と行ったの?」...僕が何を聞いても妻は黙っています。キスしようと顔を近づけると、妻は顔を振って逃げようとするのです。

 僕は直ちに彼女を寝室に連れて行き、そのままのスカート姿で布団に寝かせました。淫靡な性行為が始まります。上向きになった妻の顔を覗き込むと、彼女は目を瞑って、いかにも覚悟しています、という表情です。サディスティックな欲情に駆られた夫が妻のスカートとスリップを捲り上げると、夫との約束どおりノーパンです。夫はすばやく自分のスカートとペチコートを捲って勃起したペニスを出し、妻の体に突き立てました。ウウッ...妻の体は十分に濡れています。自分の愛液?...それとも誰かの精液?...しばらく正常位で厳しく責め立ててから、僕はおもむろに妻の上体を持ち上げながら胡座を組み、妻が僕の胡座に跨った格好になりました。僕のペニスに貫かれたまま...対面座位ということでしょうか。跨り終わった瞬間、妻はまた声を洩らしました。太ももを自分のスカートで覆ったまま、男の情欲を唆る表情を見せています。

 僕はペニスの感覚を楽しみながら、例によって蛇のような執拗さで妻を言葉で苛め始めました。さっきと同じことを執拗に問い質しました。「どうだった?」...「二次会は誰と行ったの?」...夫のペニスで貫かれた妻の顔を楽しみながら、訊問を続けます。誰とどこで飲んでいたのか…何の話をしたのか…何をしたのか…僕がちょっと腰を動かして妻を突き上げると、形のいい唇が悩ましげに微かに開き、その間から白い歯列が覗きます。そこでいつものようにその唇を指でそっと優しく撫でると、その唇が更に開きます。妻が体を開いている?...いいえ。僕が妻の舌を求めて唇を合わせるや否や、妻は
いつものように固く唇を閉ざしてしまうのでした。

 いつものように?...そうなのです。妻は僕との性生活でどんなに体を開いて僕を受け入れてくれても、舌だけは許してくれなかった...唇は許しても、舌に舌で触れることすら僕に許してはくれなかったのです。そんな妻の態度が僕の嗜虐欲を煽って、より激しい性行動に向かわせたのです。夜遅くに帰宅した妻に対する厳しい訊問...拷問にも似た訊問...誰とどこで飲んでいたのか…何の話をしたのか…何をしたのか…そんな遅帰りの外出の中に、妻がTという学生時代の僕たち共通の友人との逢瀬を紛れ込ませていたとは、ずっと後になって知った事実です。この男のことについては、この後で書かせて下さい。
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