引き出しを整理していて、古い秘密のアルバムが出てきました。1990(平成2)年の頃の純子のスカート姿です。
もう処分したつもりだったのですが、実際にはネガだけをシュレッダー処分して、アルバムは残っていたのでした...

20年前のことで、まだデジカメは縁遠い存在で、アナログビデオ(VHS)は売られていましたが、純子は持っていませんでした。
その頃は毎週のように、土曜日の午後、2時間ほどでしたが、スカート姿に変身して鏡に映る自分を楽しんでいました。
写真撮影は、<恥ずかしいスカート姿を撮影される>っていう被虐的な妄想を自分ひとりで楽しむためのものでした。
写した写真を人に見せることはまったく考えませんでした。その頃は純子という名前も自分につけていませんでした。
カラー写真は自分で現像できないので、白黒フィルムを使って撮影し、焼付けまで自分で行っていました。

下をご覧になって頂ければお分かりのことと思いますが、この頃は主に膝丈のプリーツやフレアスカートを愛好していました。
アルバムに残っていたのは下の3種類のスカート姿だけです。この後、写真撮影ができなくなったのですが、その頃から、
グレー紺無地のフレアーミニスカートを着けるようになりました。今から見るとスカート丈が長いなあって思います。
スカート女装の最初から、純子はスリップとガーター・ストッキングに執着してきました。この撮影でも、いつも着けています。
ペチコートは、初期の頃は着用しませんでしたが、お気に入りのフレアペチコートをゲットした時以来、愛用しています。
今は、そのフレアペチコートとショートペチコートをスリップの上に重ねていますが、この時はスリップの代わりにキャミソールでした。
この撮影の時も大抵着けています。ただ、この頃の純子は、ブラジャーそのものにはなぜか関心がありませんでした。
この時は、スリップの下にキャミソールかガーター付きのボディスーツを着けて、肩紐を左右2本ずつにしていました...

千鳥格子の12枚はぎゴアスカート(=フレアースカート?)
    

    

  

   

    

 

  

    

   
この頃はまだ脛毛や太腿の毛が今よりかなり濃かったのです。でも剃るという発想はありませんでした。できるだけ黒いストッキングを履くことで、
目立たなくしていました。上のスカートは銀座ゲルランです。白地に黒の細かい千鳥格子が入っています。この当時、銀座ゲルランは純子の
お気に入りでした。色は白地に紺です。トップスのセーラー風ニットとお揃いのベストもゲルランです。この頃は靴もありませんでした。
ハイソックスも今ほどは一般的ではなかったので履くこともありませんでした。このスカート、残念ながら今はウエストが入りません...
紺無地膝丈のフレアースカート
      

   

  



      

   

    

 

  

  
このスカートは地元商店街の洋装店でバーゲンに出されていたものを、純子の好みを聞いていた妻が買い求めて来たものです。
純子の年来の好みは紺色無地のフレアースカートだったのです!妻の目を盗んでこのスカートを着けるようになったとき、純子は、
自分のスカート女装は最高の境地に達したと思いました。スカートの下にフレアーペチコートやショートペチコートを重ね、ストッキングを
ガーターベルトで吊る...(ストッキングは黒以外にナチュラルの透明さも楽しむようになって行きました。脛毛はそのままで...)
朝顔のように広がるフレアースカートを着けた時は、最高に楽しい気分でした。動画でも着用しましたが、今はウエストが入りません...
紺無地膝丈のプリーツスカート
    

 b   

 

   

    

   

  

  
純子が性に目覚めた中学生の頃から、スカートと言えば紺色無地のフレアースカートでした。紺色無地のプリーツスカートには
関心がありませんでした。女子中学生が着けていて、遊んだりしている時に翻ったスカートの裾から白いスリップ(シュミーズ)のレースが
見える時はハッとすることもありましたが、特に執着はなかったんです。でも、就職してから、職場の先輩女子社員の私服が、紺色無地の
プリーツスカートだったんです。痩せぎすで美人ではなかったけど、そのスカートに包まれたヒップラインがたまらなかった...それで、紺無地の
プリーツスカートにも俄然関心が高まりました。この写真のスカートは、銀座ゲルランです。事情により、純子が一人でお店に入って、
このスカートを買い求め、そして、外で待っていた妻に渡しました。純子がお店でスカートを買ったのは後にも先にもこの時だけです。
腰の部分に縫い取りがあって、ヒップを引き締めてくれるデザインです。上の3種類のスカートは、すべてに裏地が付いています。